スパルタ 古代ギリシャ

【スパルタの社会構造】ヘイロータイとペリオイコイについて

奴隷に酒を飲ませるスパルタ人

スパルタの市民は労働が禁止され、その代わりに徹底的に軍事教育に時間を費やした。つまり働かずにひたすら戦闘のために鍛えていた。その軍事国家には、市民ではない「ヘイロータイ」と「ペリオイコイ」の存在が不可欠だった。かれらがいたからこそ、「労働する者鍛えるべからず」のスパルタが完成した。

この記事の主役は半自由民のペリオイコイと国家の奴隷ヘイロータイ。かれらがどのような人々で、スパルタ社会でいかなる役割を担い、どのような生活を送っていたのかをみていく。

スパルタの成り立ちとペリオイコイ、ヘイロータイの確保

スパルタの階級

ドーリア人の征服とスパルタの形成

紀元前10世紀頃、ドーリア人がペロポネソス半島南部ラコニア地方に南下し、アカイア人を征服した。この時に形成されたポリス(都市国家)がスパルタである。征服されたアカイア人の多くはヘイロータイ(奴隷)やペリオイコイ(半自由民)に落とされた。これがスパルタの階級社会の始まり。

メッセニア戦争とヘイロータイの増大

スパルタはさらなる領土拡大を目指し、前8世紀に隣国のメッセニアへ侵攻する。これが第一次メッセニア戦争。この戦争に勝利したスパルタは、広大な土地と非常に多くのメッセニア人をヘイロータイやペリオイコイとした。

しかし支配されたメッセニア人たちは、その扱いに反乱を起こす。前7世紀の第二次メッセニア戦争、前5世紀の第三次メッセニア戦争と、大規模な反乱がくり返された。スパルタ市民の数をはるかに上回るヘイロータイの存在は、常にスパルタにとって脅威でありつづけた。またスパルタの国家に同化できなかった、あるいはヘイロータイとして征服されなかった人々は、ペリオイコイとなった。

こうしたヘイロータイの反乱に備えるため、前7世紀~前6世紀にかけ段階的にリュクルゴスの立法(いわゆるスパルタ教育)が導入された。

スパルタ市民は鍛え、ペリオイコイは働く

農業を営む奴隷

スパルタの社会には、市民と奴隷の中間に位置する「ペリオイコイ」があった。かれらはスパルタの経済と軍事を支える重要な存在だった。

ペリオイコイ - スパルタを支えた中流階級

「ペリオイコイ」とは、「周囲に住む人々」を意味する言葉で、スパルタ市民が住む中心地の周辺に居住していた。市民権を持たず、スパルタの国政に参加することは許されていなかったが、ヘイロータイとは違い「半自由民」であった。市民同様、かれらもヘイロータイを所有することがあった。

かれらはスパルタの支配下にはあったが独自の都市(ポリス)を形成し、自治権を認められていた。独自の法律を持ち、聖域を設けることもできた。スパルタに対して敵対的ではなく、市民とペリオイコイは合わせて「ラケダイモン人」と総称されていた。

スパルタ経済の中心的な担い手

経済活動や生産などはペリオイコイが行った。スパルタの市民は金儲けが禁じられていたため、かれらはスパルタの経済を動かす中心的な役割を担っていた。

  • 商業・事業の統括
  • 工芸・製造業
  • 武器・防具の製造

スパルタ兵が使う武器や防具も、ペリオイコイによって作られていたと考えられている。

兵役の義務と重装歩兵としての貢献

戦争が起これば、スパルタ市民と共に重装歩兵として戦場に赴いた。重装歩兵は、密集隊形(ファランクス)を組んで戦う兵士であり、厳しいが訓練が必要とされた。ペリオイコイがスパルタ軍の重要な戦力であったことがうかがえる。

スパルタ市民とヘイロータイ

降伏するヘイロータイ

スパルタ社会の最下層に位置し、その人口の大部分を占めていたのがヘイロータイ。かれらは国や主人のために食物を献上しなければならなかった。そうした理由からスパルタ市民に対する不満が高まり反乱を起こす。スパルタはヘイロータイへの締めつけを強化し、一定数に保つためにかれらを抹殺していた。

ヘイロータイ - 国家の所有物にされた奴隷

ヘイロータイは特定の個人ではなく国家が所有する奴隷。そのため、他のポリス(都市)のように個人間で売買されることはなかった。かれらはスパルタ市民に土地ごと割り当てられ、その土地を耕作することが主な仕事であった。

かれらには重いノルマが課せられていた。

  • プルタルコスの記録: 男性の主人のために年間70メディムノイ(約3,770リットル)の大麦、女性の主人のために12メディムノイ(約580リットル)の大麦、さらにそれに見合う量のぶどう酒やオリーブ油を納めなければならなかった。
  • パウサニアスの記録: 「重い荷を負わされたロバのように、収穫した果実の半分を主人に持ち帰っていた」と記述されている。

しかし、定められた量を納めれば、残りの収穫物は自分のものにすることができた。中には富を蓄えるものも現れ、自分の船を所有する裕福なヘイロータイもいたという。

前223年頃、6,000人ものヘイロータイが1人あたり500ドラクマを支払い自由を買い取ったという記録がある。これは当時としてはかなりの額だった。

スパルタに消されたヘイロータイ

アリストテレスは、ヘイロータイを「スパルタ人の破滅を常に待ち伏せしている敵」と評した。その言葉通り、スパルタ市民は常にヘイロータイの反乱を恐れていた。ヘロドトスによると前5世紀のプラタイアの戦いでは、スパルタ兵1人につき7人ものヘイロータイが付き従っていたとされ、その人口は推定17万人~22万人にも上ったという。これはスパルタ市民の数を圧倒的に上回る。

スパルタはヘイロータイの数を調整するため、徹底的に管理し弾圧した。

  • エフォロスによる宣戦布告: スパルタのエフォロス(監督官)は、毎年就任するとヘイロータイに対して宣戦布告を行った。これによりスパルタ市民は宗教的な罪の意識を感じることなく、合法的にヘイロータイを殺害できた。
  • クリプテイア(秘密警察): スパルタ教育の最終段階にある若者たちは夜間に身をひそめ、ヘイロータイを見つけて殺害する任務を与えられた。これは恐怖による支配の一環であった。
  • 2,000人の虐殺事件: トゥキュディデスによるとスパルタは「敵に対して最も功績を挙げた者に自由を与える」とし、名乗り出た約2,000人のヘイロータイを選びだした。かれらは自由を祝って神殿を巡ったがその直後、姿を消した。スパルタが反乱の首謀者になりかねない勇敢な者たちを計画的に抹殺したのである。

スパルタの歴史は、まさにスパルタ市民とヘイロータイとの階級闘争の歴史であったともいえる。

戦士としてのヘイロータイ

進軍するブラシダス

スパルタ市民とは常に敵対していたが戦争においては、かれらへの扱いはよくなったと考えられている。かれらは陸では軽装歩兵、海では船の漕ぎ手として戦争に貢献した。

とくに有名なのが前424年のできごと。名将ブラシダスに率いられた700人のヘイロータイは、トラキア地方での戦いで目覚ましい活躍をみせた。その勇気と忠誠心にかれら全員をペリオイコイとした。

スパルタ市民とヘイロータイの子ども

戦争で多くの市民が命を落とすと、スパルタは深刻な市民の減少が問題になる。この対策として、スパルタ人の男性とヘイロータイの女性との間に子供をもうけることがあった。これが国家の計画か偶然なのかわからないが、市民の兵力として貢献していたという。

3つの社会構造: スパルタ市民・ヘイロータイ・ペリオイコイ

ペリオイコイとヘイロータイについて解説した。両者の違いは次のとおり。

まとめ

  • ペリオイコイ: 半自由民。スパルタの配下にあり、市民権を持たないが独自のポリスを持った。商業や武具の製造をに担い、スパルタの経済と軍事を支えた。
  • ヘイロータイ: 国家が所有する奴隷。主に土地を耕作し歩兵として国に使われていた。市民との関係は悪く反乱を起こしては抑制されていた。

スパルタは、少数の市民が大多数の下層をかかえる、きわめて不安定な構造の上に成りたっていた。ヘイロータイとペリオイコイという都合の良い者たちにより、スパルタ教育が作られた。また第三次メッセニア戦争はスパルタを襲った大地震にまぎれ、両者が反乱をおこしたことにより始まっている。

スパルタは大量の奴隷をしたがえたことでギリシャの覇権をえた。しかし増えすぎた奴隷を殺害、反乱の抑制と奴隷との戦いにより次第に自由を失っていくことになる。

-スパルタ, 古代ギリシャ