
この記事では古代ギリシャの食べ物(紀元前5世紀ごろ)を紹介する。
この記事のポイント
- 当時の食生活
- 古代ギリシャの一般的な食べ物
古代の偉人はさまざまな創造力を発揮したけれど、そこには食も関わっているはず。
現代のギリシャ料理は無形文化遺産に登録され、魚介類やオリーブ、穀物を使った料理が多く、脳にも良いことが研究でわかっている。
今回は古代ギリシャ人はどんな食べ物をとっていたのか、その背景を解説する。
もくじ
古代ギリシャの食事作法

古代ギリシャの食事は現代と同じく朝、昼、夜の一日3食をとっていた。富裕層と一般人の食事に違いはあるが、朝と昼は軽い食事ですませ、夕食に重い食事をとる。
基本的に食事は素手で食べ、スープなど必要に応じてスプーンを使っていた。汚れた手は「アミロン」という小麦粉の練り玉で拭きとる。使ったアミロンは床に捨てられ、犬や猫のえさにしていた。
また当時は男尊女卑が当たり前で稼ぎ頭の夫が先に食事をとり、そのあと妻と子供が食事をとった。主に料理は奴隷や妻が作り、主人に運んでいた。
朝食(アクラティマ)
朝食はパンやワイン、オリーブやイチジクといった簡素な食事。
当時のパンは硬く、ワインやオイルにつけて食べやすくしていた。そこにオリーブの実やイチジク、昨日の残り物が添えられる。
昼食(アリストン)
時刻は正午ごろ。朝食と同様に簡素な食事がとられた。
夕食(デイプノン)
一日で最も重要と考えられていた夕食。裕福な家庭は労働が終わると多くの友人を集めて宴会を開き、食卓にはさまざまな料理が並べられた。
たまごや旬の野菜、肉・魚料理、パン、チーズやオリーブ。現在でも貴重なマグロの大トロや、牛肉の煮込み、ステーキなど、これらが多くの皿に並べられ食卓を彩った。
こうした宴会は富裕層の間で行われたため、一部の肉や魚は庶民が食べる機会は少なかった。この食事のスタイルが現在のギリシャで「メゼ(数種類の小皿にわけられた前菜)」の起源と考えられている。
古代ギリシャでよく食べられていた食べ物
古代ギリシャの気候は穀物の栽培に適しておらず、穀物は主に輸入に頼っていた。紀元前5世紀ごろには貿易が盛んになり、麦が一般家庭に普及した。これにより、パンや麦粥を日常的に食べられるようになった。
庶民の食事は質素。主食はパンや麦粥で、これに豆類、オリーブ、ワインが加わる。副食は乾燥させた野菜や果物、少量のチーズがそえられた。
果物は古くから食べられており、ブドウ、イチジク、ナッツ類が代表的。ただし、生の果物は水分が多く体調を崩すため、ドライフルーツとして保存されていた。
ギリシャの気候は夏は晴天が続き、冬は雨が多い。この環境に適した作物として、イチジク、オリーブ、ブドウが広く栽培された。特にオリーブは食用だけでなく、油や化粧品としても役割を果たした。
『イリアス』や『オデュッセイア』には肉料理の描写が見られる。しかし、実際には肉や赤身の魚は高価な食材で、日常的に食べられなかった。これらは祭礼や特別な機会に振舞われる、贅沢品だった。
パン

穀物の輸入に伴い麦が普及した。紀元前5世紀ごろにはパン屋が営まれていて、同時に製粉屋でもあった。
庶民は家庭でパンを作るのが一般的。対して富裕層は都市の「アゴラ(市場)」でパン屋から購入し食卓に並べていた。当時のパンは「マザ」と、「アルトス」の2つに分けられる。
粥
パンと同様に「麦粥」が主食として食べられた。作り方は大麦を砕き、水と塩で煮るというシンプルな料理。もし余裕があればオリーブオイル、玉ねぎ、ハーブ、削りチーズを混ぜて食べていた。
また大麦などを溶いて作る飲み物に「キュケーオン」がある。語源は「かき混ぜる」を意味する。ホメロスの『オデュッセイア』には、そのレシピが歌われている。魔女キルケーが、オデュッセウス一行に飲ませ豚に変えた。
___チーズと小麦粉と黄色の蜂蜜とを、プラムノスの葡萄酒で混ぜ合わす。その上さらに、故国のことをすっかり忘れさせるために、恐ろしい薬をその飲物に混ぜた。一同がすすめられるままに飲み乾すや、キルケは直ぐに彼らを杖で叩きながら豚小屋へ押し込めてしまった。
オデュッセイア (上) 第十歌 p257 ホメロス 松平千秋訳 岩波文庫
肉・たまご
動物は家畜として飼われていて、食用になることは少なかった。
牛肉料理は基本的に富裕層しか食べられなかった。牛肉が食べられるのは犠牲式。そこで屠殺された牛が参加者に振る舞われていた。
庶民は儀式で生け贄にされた牛肉を食べるのがせいぜいの贅沢だった。
都市では、豚肉を除いて肉は高価だった。主な料理としては「ソーセージ」や「スブラキ(串焼き)」が一般的な料理。
たまごはウズラやにわとりのたまごが食べられた。パン生地に風味を加えるために使われたほか、ゆでたまごにして前菜やデザートに添えた。
魚介類
魚介類は地中海に面していたため海産物は豊富にあった。
アテネではイワシやアンチョビは一般的で、穴子やスズキ、マグロは高級品だった。魚介類は日持ちしないため、塩漬けや発酵させるなど加工されていた。
また魚介の加工品として特に有名な「ガルム(魚醤)」。これは魚の内臓や身を塩漬けにして発酵させた液体調味料で、保存性が高く、長距離輸送に適していた。
野菜・果物
富裕層は新鮮な野菜を、都市部の庶民は乾燥野菜を食べていた。古代ギリシャの野菜の種類は多く、主なものは以下の通り。
野菜はサラダや、豆と一緒にスープにして食べていた。ギリシャでは今も「グリークサラダ」や「ファケス(豆のスープ)」といった古代から続く料理が食べられている。
果物の中でも、オリーブ・ぶどう・イチジクは日常生活に欠かせない存在だった。イチジクは特に好まれた例として、以下の詩がある。
「もし家の中に、やまほどの黄金とわずかばかりの無花果と、それから人が二、三人、これだけで閉じこもるとすれば、黄金よりは無花果の方が、いかほどありがたいかを思い知ろう。」
食卓の賢人たち1 p284 アテナイオス著 柳沼重剛編訳 京都大学学術出版会
オリーブの実は食卓にならび、オリーブオイルはパンやサラダに付けていた。オリーブオイルは食用だけではなく、ランプの燃料、薬用、化粧品、など幅広く使われていた。
ぶどうは基本的にワインにしていた。古代ギリシャでの一般的な水分補給はワイン。その理由は当時の水は清潔ではなかったため、アルコールによる消毒も兼ねていた。そのためワインを水で薄めて飲むのが一般的だった。
豆・ナッツ
古代ギリシャ人の貴重なたんぱく源。ギリシャの土地でも栽培が容易なため古くから栽培されていた。
豆はスープ、ロースト、デザートに混ぜて食べていた。ナッツは食後のデザートや、オイルを採りサラダなどに使われた。
乳製品
主にヤギの乳が飲まれ、牛乳が一般的ではなかった。農村部では飲料として普及していたが、都市部ではパンの風味付けに加えられる程度。
乳製品の中心はチーズ。主にヤギ、羊の乳から作られ、軟らかいものと硬いものがあった。単独で食べることもあれば、はちみつや野菜といっしょに添えられたり、魚料理に添えられていた。
羊の乳から作られたチーズは、オデュッセイアに見られ、現代のフェタチーズの原型と見なされている。
「編籠はチーズが溢れるばかり、檻には仔羊と仔山羊がひしめき合い、それも一番早く生まれたもの、それから後に生まれもの、生まれたてのもの、という風に仕分けて檻に入れてある。そこに置かれてある巧みに作られた容器─あるじが乳を搾るのに用いる樽や鉢はみな、乳漿が溢れている。」
(オデュッセイア 第九歌 228p ホメロス著 松平千秋訳 岩波文庫)
質素な食事をしていた古代ギリシャ人

古代ギリシャ人はオリーブ、野菜、魚、乳製品を中心に食事をとっていた。当時は現代のような高度な加工食品が少なく、基本は素材を煮る、焼く、乾燥させるといったシンプルな調理方法。
とくに魚やオリーブはブレインフードとも呼ばれ、学習能力、記憶力向上に良い作用をもたらす。質素で栄養バランスがとれた食事は、人の創造力や知的能力に大きく関わっていた可能性がある。2000年以上前の食事は現代の私たちに知的活動のヒントを与えてくれる。