
この記事では古代ギリシャの奴隷について解説する。
この記事のポイント
- 奴隷に対する扱い
- 奴隷の生活
- 奴隷の種類
古代ギリシャの繁栄を支えたのは、当たり前とされていた「奴隷」の存在。
彼らは社会の最下層に位置し、同じ人間ではなく道具として扱われていた。
ポリス(都市国家)の経済、軍事、そして市民の日常生活に深く関わり、奴隷の労働力に依存していた。
現代の感覚ではありえない、奴隷の日常からリアルな古代ギリシャに迫る。
もくじ
古代ギリシャにおける多様な奴隷たち

古代ギリシャの奴隷は主に農業に従事させられ、経済の基盤となっていた。
アテナイの奴隷は一定の自由があったものの、スパルタの奴隷は殺害されるなど扱いは大きく異なる。
アテナイとスパルタの違い
そこそこ自由なアテナイの奴隷
諸説あるが古代ギリシャのアテナイは人口30〜40%を奴隷が占めたと推測されている。
クセノポンは『アテナイ人の国制』にて、奴隷が「放埒」に感じられるほど、彼らの振る舞いが自由であったという。
その理由としてアテナイには海軍があり、海軍の要求する金額を納税する必要があったから。
そのためには奴隷を開放し、経済活動により資金を集めさせた。
こうして彼らが自由になったことにより、奢った生活をする奴隷まで現れた。
その奴隷は市民と変わらない服をまとい、まるで一般市民のように反論することさえあった。
こうした地位の低さとは裏腹に、アテナイではかえって市民が奴隷に仕えるという皮肉をクセノポンは訴えた。
消されたスパルタの奴隷「ヘイロータイ」
一方、古代ギリシャのスパルタは他国との戦争に勝利し、大量のヘイロータイ(奴隷)を従えた。
ヘイロータイとはアテナイの奴隷と異なり、国が所有する奴隷。
主に農業に従事し、その収穫物を主人に献上していた。
その数はスパルタの市民よりもはるかに多い。市民1人当たりに9人ものヘイロータイが使われ、市民の約7倍を占めていたと推定されている。
このヘイロータイからの反乱を防ぐためスパルタは独特の厳しい支配体制をとっていた。
毎年秋になると、スパルタ人はヘイロータイに対して宣戦布告。
これは宗教的な非難を受けることなく、彼らの一部を殺害することができた。
こうした力技で常にヘイロータイの数を抑制し反乱を防いだ。
古代ギリシャの経済を支えた奴隷たち

では古代ギリシャの奴隷はどこからきて、どのような扱いを受けたのか。
彼らの仕入れから、労働環境などを見ていく。
奴隷の仕入れ
奴隷の成り立ちは多様で、主なものは以下の通り。
古代ギリシャでは戦争捕虜以外にも、借金を肩代わりすることにより奴隷になるケースがあった。こうして市民だったものは生きた道具として扱われ、政治への参加や人としての権利は剥奪される。
戦時下の奴隷
奴隷は主人に仕えるだけでなく、兵役の義務があった。
彼らは常に戦時で軍艦を動かし、敵から身を守ったり、利用するために動き回る「人間の盾」として使われていた。
またスパルタのヘイロータイは戦争時になると軽装歩兵として従軍し、目覚ましい活躍を見せるとペリオイコイ(半自由民)になることができた。
奴隷たちの過酷な労働現場
奴隷たちは、あらゆる場所で働かされていた。
その仕事内容は多岐にわたり、多くは精神敵にも肉体敵にも過酷なものだった。
このように奴隷の仕事は環境により大きく変化し過酷さも異なる。価値のあるスキルを持つ奴隷ほど高値で取引され重宝された。
また奴隷を厳しく扱うと逃げ出してしまうため、管理するものにも奴隷を管理する「スキル」が必要だった。
自由を得た奴隷「メトイコイ」

このような過酷な環境から開放された奴隷もいた。彼らは解放奴隷となり、アテナイではメトイコイ(在留外国人)と同等の扱いを受ける。
奴隷が自由を得る方法はいくつか存在した。
解放奴隷は市民と奴隷のあいだに位置し、自由な身ではあるが一般市民のような政治参加、土地所有には制限があった。
また国への兵役や納税などは市民と同様に課せられ、加えて人頭税を収める必要があった。
奴隷はたとえ主人から開放され、解放奴隷になったとしても完全なアテナイ市民にはなれない。
古代ギリシャの文明は奴隷なくして発展しなかった

今回は古代ギリシャの奴隷について解説した。
ここで本記事の重要なポイントを再確認する。
当時は奴隷を持つことは当たり前で、現代の倫理観とはズレまくっている。
けど対象物が変わっただけで、AIや家電は奴隷と変わらない。