
「スパルタの頭おかしいぶっとびエピソード」や「変わった逸話」を知りたいと考えてはいないだろうか。
この記事ではスパルタの「変わった俗習」や「今ではありえない習慣」を集めた。
この記事では以下の人におすすめ!
- スパルタを深堀りしたい人
- スパルタ人の生活を知りたい人
- 武力以外のスパルタを知りたい人
スパルタ人の生活はとても合理的で、体を鍛えることや徳を重視する毎日をおくっていた。
かれらの常識から外れた生活は、現代のわたしたちに活かせる?ことがあると思うのでぜひ見ていってほしい。
もくじ
ムダな時間は許されない、スパルタでは散歩が禁止!

スパルタ人にとっての時間は徳をみがき、身体を鍛えるためにある。つねにいちばん大事なことに時間を費やしダラダラすること、くつろぐことさえ許されなかった。
あるとき、デケレイアを占領していたスパルタ兵が午後に散歩をしていた。このを知ったエポロス(監督官)は、それを怠惰とみなし「散歩はしてはならぬ」という手紙を送った。
スパルタ人たるものは散歩によってではなく、鍛練によって健康を維持すべきである
引用: アイリアノス『ギリシア奇談集』松平千秋・中務哲朗訳 岩波文庫
かれらにとって散歩は健康維持の手段ではなく、単なる時間の無駄遣いであった。これはつねに己の鍛錬や国家を優先する、スパルタの時間管理術といえる。
全員裸でチェック!?肥満と色白はムチ打ちの刑

スパルタ市民は国家の財産そのものであった。そのため、個人の体格に対してもきびしい法律が定められていた。その法律とはいかなる市民も怠惰の証拠である肥満や、色白であってはならないというもの。この法律を徹底させるため、きびしい管理下に置かれていた。
- 成年に達した男子は、10日に一度、みんなの前で裸をさらすことが義務づけられていた。
- エポロス(監督官)がその肉体をきびしくチェック。
- 鍛えあげられ、彫刻のような肉体を持つものは表彰された。
- しかし少しでも脂肪がついていたり、体がたるんだりしていると問答無用でムチ打ちの刑に処された。
さらに服装に関しても毎日こまかく点検され、規定から外れていないかきびしく調べられたという。国家が個人を徹底して管理することで、他者との格差をなくし平等を保っていた。
敵を威嚇しキズを隠すスパルタの赤いマント

スパルタ兵が戦闘のさいには必ず赤いマントを着用した。それには複数の理由があった。
- 威厳と勇気の象徴: かれらは赤色を勇敢な色だと考えており、その色が兵士に威厳をあたえると信じていた。
- 敵への威圧: 赤色は敵の目に焼き付き、恐怖心をあたえる効果があった。傷口から流れる血がマントに染みると、さらに恐ろしげな見た目となり、敵を心理的に圧倒した。
- 赤いマントでキズをかくす: 自分がキズを負ってもマントと血の色が似ているため、敵に弱みをみせることなく戦いつづけることができた。これは未熟な兵士が味方のキズをみて動揺するのをふせぐ効果もあった。
この赤いマントは単なる軍服ではなくスパルタの戦術の一つであった。この実用性と心理的効果をもちいた服装は他のポリス(都市)もマネしたほどだった。
スパルタ兵300人 VS ペルシア兵20万人の戦い

スパルタの死生観を最もよく現してしているのが、テルモピュライの戦いにおけるレオニダス王と300人の兵士の最期である。
ペルシアの大軍を相手に圧倒的に不利な状況で戦ったかれらは、援軍の到着によって戦況が変わると、狭く通りの悪い小高い丘に陣取った。もはやこれまでと悟ったかれらは、最後まで抵抗をつづけた。
ギリシア軍はこの地に拠って、まだ手に短剣を残したものは短剣を揮い、武器なきものは素手や歯を用いてまで防衛に努めた
引用: ヘロドトス『歴史 下』松平千秋訳 岩波文庫
レオニダス王もこの激戦の中で命を落とし、その遺体をめぐって壮絶な奪い合いが繰り広げられたという。このエピソードはスパルタ人にとって逃げることは最大の恥であり、死ぬまで戦い抜くことこそが最高の栄誉であったことを示している。
「お前など息子ではない」臆病な息子を殺すスパルタの母

スパルタの女性もまた国家に対して高い忠誠心を持っていた。とくに母親の子供に対する価値観は、現代人には理解しがたいものがある。
あるスパルタ母親は戦場から生きて帰った息子を、国家の恥とし自らの手で殺害した。スパルタ女性を称える碑文には、当時の生々しい声が刻まれている。
悪い息子よ、暗い闇をとおって去って行け。その憎悪のゆえに エウロタス川は、臆病な鹿たちのためにも流れはしまい。 この役立たずの犬ころ、碌でなしめ、さっさと地獄へ行ってしまえ、 行ってしまえ。私はスパルタの役に立たない息子を産んだ覚えなどない。
引用: プルタルコス『モラリア 3 スパルタ女性の名言集』訳 松本 仁助 京都大学学術出版会
国家に忠誠をつくすあまり、運良く帰った息子を殺してしまう。この母親の心情はどんなものだったのだろうか。
略奪から始まるスパルタの奇妙な結婚

古代スパルタの結婚は、すぐれた市民を生み出す目的で厳格に管理されていた。
結婚は男性による女性の「略奪」から始まり、花嫁は髪を剃られ男装させられた。
夫は夜だけひそかに妻を訪ね、すぐに兵舎へもどるという秘密の通い婚を行った。
これは夫婦間に飽きがこないよう新鮮な関係を保ち、子作りに最適な心身を維持するためでもあった。
また嫉妬による暴力沙汰やその他の無秩序は女々しいものとされていて、これらを排除する狙いもある。
こうした徹底ぶりは、子が生まれるまで昼間に妻の顔を知らない男性がいたほどだった。
生まれてすぐ命の選別をうけたスパルタの子どもたち

スパルタの子どもは生まれたときから命の選別を受ける。
赤ん坊はレスケという場所に連れて行かれ、部族の長老たちによる厳しい合否の検査をうける。
- 合格: 体がしっかりしていて強健であれば「育てよ」と命じられ、土地があたえられる。
- 不合格: 育ちそうもないあるいは五体満足でない赤ん坊は、タユゲトン山中のアポテタイと呼ばれる崖へ遺棄された。
「はじめから健康でなく強く育つ見込みのない子は、本人にとっても国家のためにもならない」というのがかれらの考えだった。さらに赤ん坊の体質を試すため、産湯ではなく葡萄酒で体を洗ったという。病弱な赤ん坊はけいれんを起こすが、健康な赤ん坊はそれによってさらに鍛えられると信じられていたからだ。
盗みを働き命を奪われたスパルタの少年

スパルタの少年たちは盗みが推奨されていた。だがもし盗みがみつかれば「盗んだこと」が責められるのではなく「下手な盗みをした」という理由で、ひどいムチ打ちの刑に処された。
ある少年がキツネの子を盗み外套の下に隠していた。そこに持ち主たちが探しに来たが少年はバレないように身動き一つしなかった。
そのあいだ外套の中で暴れたキツネは少年の脇腹を食い破り、内臓にまで達したという。
持ち主が去ったあと仲間たちが少年を非難すると彼はこういい返した。
「いや、そうではない、柔弱さのゆえに見つかって惨めに生きながらえるよりも、苦痛に負けないで死ぬほうが良いのだ」
引用: プルタルコス『モラリア 3 スパルタ人たちのの名言集』訳 松本 仁助 京都大学学術出版会
そして少年は腹を食い破られながらも平然と耐え抜いた末に死んだという。なんとも噓くさいはなしだが、プルタルコスは若者がムチで打たれて死ぬのを何度も見たという。
まとめ:スパルタの「頭おかしい逸話」は国家のための合理主義だった
現代のわたしたちからすれば、奇妙な逸話を9つ紹介した。
しかしこれらの奇妙な話はすべて「国家の規範を守り、維持する」という目的にある。
その反面、個人の幸福や自由、さらには命さえも国家の前では二の次になっていた。
スパルタの生活は現代からすれば受け入れがたいことも多い。
しかしムダを排除し目標に向かう様や、夫婦間の嫉妬や暴力沙汰を排除するなど、すべて否定できるものではない。
スパルタの社会は極限まで人を鍛え上げ、徹底した合理主義によって成り立っていた社会といえる。
古代の生活は現代では通用しないものの、あらためて考えさせるものがある。