哲学

ストア派の哲学者を解説

2025年12月19日

ストア派の哲学者一覧

この記事では初期ストア派、中期ストア派、後期ストア派の哲学者を紹介する。

この記事のポイント

  • 初期~後期ストア派の哲学者
  • 初期・中期・後期の変化
  • ストア派の歴史

ストア派は、アテナイで生まれた学派がローマへ広がり、時代とともに関心の置き方を変えながら受け継がれた。

初期~後期ストア派の代表的な哲学者をたどり、3つの時期でどう変化したのか、そしてストア派の歴史の流れを解説する。

初期ストア派の哲学者(ストア派の思想を構築)

  • 主な舞台:アテナイ
  • 代表的な哲学者:ゼノン、クレアンテス、クリュシッポス
  • 思想:幸福の条件は徳であり、それだけで十分

初期ストア派はゼノンがアテナイにストア派を創設し、その弟子クレアンテス、三代目の学頭クリュシッポスへと受け継がれる。
ゼノンは哲学を3つの学問に分け、果樹園に例えられている。

果樹園の比喩

3つの学問

  • 論理学:畑を囲む柵(外からの侵入=間違いを防ぐ)
  • 自然学:土壌・果樹(世界の仕組みそのもの、育つ基盤)
  • 倫理学:果実(最終的に得られる成果=善く生きる)

3つは別々の学問ではなく、「互いに混じり合う一つの学」と考え、論理学・自然学・倫理だけでは不完全とされている。

ストア派の創設者ゼノン

ゼノン

ゼノンはキプロス島のキティオンの生まれで貿易商を営んでいた。彼の乗っていた船が難破し、アテナイに辿り着く。
そこで『ソクラテスの思い出』を読み、このような人はどこにいるのか、と本屋にたずねると、ちょうど通りかかったキュニコス派のクラテスを紹介され、哲学の道へと進む。

ゼノンはキュニコス派のほかにアカデメイア派、メガラ派などの影響も受けアテナイにストア派を創設した。
ストア派のスローガンである「自然に従って生きる」という表現は、本来「自然」は含まれず、ゼノンはただ「首尾一貫して生きる」としていた。

2代目学長クレアンテス

クレアンテス

クレアンテスはトルコ西部のアッソス出身で、元はボクサーだった。わずか4ドラクマを持ってアテナイに着いたとき、ゼノンに出会い弟子となる。当時のアテナイは、アカデメイア派エピクロス派の2つの学派があった。この2派にゼノンの弟子が転向したりするなかで、クレアンテスは愚直に、ゼノンの生き方と思想を学び続けた。

彼はゼノンが唱えた「首尾一貫して生きる」という言葉は述語が短すぎるとして「自然」という言葉を付け加えた。

3代目学長クリュシッポス

クリュシッポス

クリュシッポスは小アジアのソロイまたはタスソスの生まれで元は長距離ランナーだった。彼は父から相続した財産をすべて王に取り上げられた。これを期にストア派の門をたたき、クレアンテスの弟子となった。

彼は優れた才能を持ち、後に「クリュシッポスがいなかったらストア派はなかった」と評価されている。非常に勤勉で著作は700冊以上あったとされている。

中期ストア派の哲学者(ローマへの橋渡し)

  • 主な舞台:アテナイ・ローマ、ロドス島
  • 代表的な哲学者:パナイティオス、ポセイドニオス
  • 思想:幸福には徳だけではなく、健康や生活に必要なものも必要

中期ストア派はギリシャからローマへ拠点を広め、とくにローマ上流階級に受け入れられた。また中期の思想は初期ストア派よりも折衷主義(様々な考えから良い点を選んで組み合わせる)がみられ、プラトンやアリストテレスの思想がみられる。

その過程でストア派の厳格な倫理は緩和され、義務、役割、共同体といった具体的なテーマを中心に据えるようになった。この転換により、ストア派はローマ市民に受け入れやすい哲学へと変化した。

アテナイ最後の学長パナイティオス

パナイティオス

パナイティオスはギリシャのロドス島にある名家の生まれで、バビロンのディオゲネス、タルソスのアンティパトロスに師事した。彼はアテネとローマを行き来していたが、最終的にアテネに落ちつき、アンティパトロスの後を継いでストア派の学長となった。

ローマでは、小スキピオを中心とする「スキピオ派サークル」に参加し、ストア哲学を講じた。これにより、ストア派の思想がローマの上流階級へ広がり、ギリシア哲学とローマ社会をつなぐ役割を担った。

独立した学校を築いたポセイドニオス

ポセイドニオス

ポセイドニオスはシリアのアパメイアに生まれた。パナイティオスに師事していたが、25歳のときにパナイティオスが死去。これを期にアテナイからロードス島へと拠点を移し、独自の学校を創設した。

彼は当時もっとも博学なストア派の哲学者と評され、アリストテレスと同じく哲学以外にも天文学、数学、自然科学など様々な学問でも功績を残した。

後期ストア派の哲学者(ローマ帝政下の実践哲学)

  • 主な舞台:ローマ帝国
  • 代表的な哲学者:セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス
  • 思想:徳こそ唯一の善であり、日々の実践が重要

後期ストア派は、初期ストア派の思想を基本的に受け継いでいる。その関心を「個人の内面をどう鍛えるか」という点に大きく舵を切った。

変えられない外部の状況よりも、自分の判断・態度・心の状態を整えることを重視する。日々の内省や、逆境を想定した心のトレーニングを通じて、どのような境遇でも徳を保ち続けようとする。

政治家ルキウス・アンナエウス・セネカ

セネカ

セネカはスペインのコルドバで裕福な騎士階級の家に生まれた。ローマではピュタゴラス派のソティオン、ストア派のアッタロスなどに師事した。政界では執政官にまで上り詰め、皇帝ネロの教育係を務めた。

セネカは「時間」について深い省察を重ねた人物だった。

「われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ。」

『人生の短さについて』p17 中澤務訳

宮廷政治に翻弄され、自身の人生が何度も奪われた経験が、その思索を鋭いものへと押し上げた。そうして生まれたのが『人生の短さについて』である。

奴隷の哲学者エピクテトス

エピクテトス

エピクテトスはフリュギア地方のヒエラポリス出身とされ、奴隷としてローマにいた人物。ストア派のムソニウス・ルフスに学び、解放後はギリシャのニコポリスに哲学の学校を創設した。

人は、外部や他者の行いを支配することはできない。でも自分の判断・意思・選択は、自分で決められる。エピクテトスにとって、この内側の自由こそ誰からも奪われないものだった。彼は次のように語る。

「——君は私の足を縛るだろう。だが、私の意志はゼウスだって支配することはできない。」 

人生談義[上]『語録』p25 23(國方栄二訳)

たとえ奴隷の身分であっても、意志だけは誰にも縛れないと断言した。

ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス

マルクス・アウレリウス・アントニヌス

マルクス・アウレリウスはローマ皇帝で、5賢帝の1人として知られる。幼少期から学問に広く触れたが、特にストア哲学を好み、エピクテトスの教えに影響を受けた。

マルクスには、セネカやエピクテトスとは異なる繊細で内省的なところがある。自分の弱さや不安をそのまま認め、それを理性で整えようとする。

君の頭の鋭さは人が感心しうるほどのものではない。よろしい。しかし「私は生まれつきそんな才能を持ち合せていない」と君がいうわけにいかないものがほかに沢山ある。それを発揮せよ、なぜならそれはみな君次第なのだから、たとえば誠実、謹厳、 忍苦、享楽的でないこと、運命にたいして呟かぬこと、寡欲、親切、自由、単純、真面目、高邁な精神。今すでに君がどれだけ沢山の徳を発揮しうるかを自覚しないのか。

自省録 第5巻 p73 五 神谷美恵子訳

ストア派の哲学者まとめ

年代別ストア派哲学者

この記事ではストア派の哲学者を初期~後期ストア派まで紹介した。
まとめは下記の通り。

  • 初期ストア派:論理学・自然学・倫理学の三本立て(果樹園の比喩)が示され、これらは分離ではなく一体の学として捉えられた
  • 中期ストア派:アテナイからローマへと進出。「義務・役割」など具体的テーマを重視し、ローマ市民に受け入れられやすい形へ変化
  • 後期ストア派:徳を唯一の善とし「日々の実践」や「内面の鍛錬」に重きを置いた。自分の判断・態度・心の状態を整えることを重視

全体としてストア派は「思想の構築(初期)」→「ローマ社会への適合(中期)」→「実践哲学としての一般化(後期)」された。

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