スパルタ

テルモピュライの戦いの全容:20万の大軍を防いだ戦術と裏切りの結末

2026年6月8日

テルモピュライの戦いサムネイル

この記事ではテルモピュライの戦いについて解説する。

この記事のポイント

  • なぜテルモピュライの戦いが開戦したのか
  • 少数で大軍を相手にした理由
  • エフィアルテスによる裏切り
  • もしもギリシャ軍が耐えていたら

ギリシャ軍は20倍以上の圧倒的な兵力差のあるペルシャ軍に対し、数日間耐え抜いた。その全容を見ていく。

テルモピュライの戦いとは?

テルモピュライの戦いのイメージ図

紀元前480年8月中旬、スパルタのレオニダス1世率いる約7000人のギリシャ軍と、約20万人のペルシャ軍による戦い。テルモピュライは古代ギリシャ語で「熱き門」を意味し、近隣に温泉がある。

南側の山と北側の海に挟まれた断崖であり、通路の幅はわずか約15メートル。この地形は少数のギリシャ軍が多数のペルシャ軍を迎え撃つのに適していた。しかし最後は内通者の手によって激戦の末にスパルタ軍は敗北し、戦死した。

テルモピュライの戦いはギリシャの反乱とペルシャの報復

テルモピュライの戦いの前に行われたマラトンの戦い

テルモピュライの戦いはペルシャの支配下にあったギリシャ人の反乱とそれに対する報復により勃発した。

  • イオニア地方の反乱: ペルシャ支配下のギリシャ人が反乱を起こし、アテナイとエレトリアがこれを軍事支援した。
  • 第一次ペルシャ侵攻: ペルシャ王ダレイオス1世が報復としてギリシャ本土へ侵攻し、エレトリアの戦い、マラトンの戦いが勃発。
  • 第二次ペルシャ侵攻: マラトンの戦いで敗れ、息子クセルクセスがギリシャ全土を大規模に再侵攻し、テルモピュライの戦いへと至る。

つまりアテナイとエレトリアによる援軍こそがペルシャの怒りを買った。そしてギリシャへ侵攻がはじまり、テルモピュライの戦いにつながったといえる。

少数の兵力で大軍を阻止したテルモピュライの戦いの地形

現在のテルモピュライの戦いの跡地

ギリシャ軍がペルシャの大軍を数日間にわたり足止めできた理由は、左右を崖と海に挟まれた地形にある。また2500年が経過して現在では当時の跡地を見ることは難しい。

地の利を活かした戦い

ギリシャ軍はテルモピュライを戦いの場として選んだ。理由は少数の兵力で大軍を阻止するには最適な場所だったから。ギリシャ側は事前にマケドニア王からの情報でペルシャ軍の進行ルートを把握していた。

ペルシャの大軍が物資を補給しながらギリシャへ向かうには、海軍のいる海沿いを進む必要がある。それに最も適した場所はテルモピュライ以外になかった。

南下してきたペルシャ軍から見れば、左手は川に向って急降下する崖、右手は、山をそぎ落とした崖になっている。その幅は当時15メートルしかなく、やっとの思いで通っている。

そのあいだを少数のギリシャ軍が占拠し、大群のペルシャ軍を迎え撃つという地の利を活かした戦略があった。

現在のテルモピュライ

21世紀、このテルモピュライに立って、2500年前の戦場を想像するのはむずかしい。理由は少なくとも以下の2つある。

  • 右手を流れていた川が、2500年のあいだに1km以上も北に移動。それゆえ、川に急降下していた崖も、ゆるやかな降下に変わった。
  • 600年後ローマ人が、山の崖を切り崩して道の幅を広げた。

ローマ人は古戦場跡をそのまま残すか、交通の便を重視するかを選択をし、迷うことなく後者を選んだ。というわけで、現在のテルモピュライは難路ではなくなっている。

ギリシャ軍の出兵遅延とテルモピュライの戦いの兵力

テルモピュライの戦いと同時期の行われていたオリンピア祭

ペルシャ軍の20万に対し、ギリシャ側が約7000人の少数にとどまったのは、祭典による制限があった。祭典を口実にスパルタからは300人の兵が戦地に向かうことに。

少数しか集まらなかった理由は祭り

20万のペルシャ兵に対し、7千人のギリシャ兵しか集まらなかった。その理由はギリシャの祭典にある。ギリシャでは祭典を重視しており、その際には「聖なる休戦」という、競技者や見物人が安全に参加できるように休戦する習わしがあった。

開催中はすべての戦闘や軍事行動が停止され、どの都市国家も即座に大軍を動かすことができなかった。テルモピュライの戦いと同時期に行われていたのが以下の2つ。

  • カルネイア祭:スパルタにおける重要な宗教祭儀の1つ。アポロンの栄光を称える祭典。
  • オリンピア祭:全ギリシャ規模で行われたスポーツの祭典。現代のオリンピックの原型で、本来はゼウスに捧げる神事として行われていた。

この2つの祭典が行われていたため、全ギリシャは軍を総動員してペルシャに挑むことができなかった。

オリンピア祭を口実に兵を拒んだギリシャ

オリンピア祭が終了した後に全軍を動員してテルモピュライの戦いで防衛戦をする予定だった。しかしそれは明らかに口実であり、多くの都市国家が戦局を見たうえで決めようとしていた現れといえる。

スパルタではどれほど急を要する状況であっても、祭典によって戦争に支障が生じることが過去にいくつもあった。
実際、マラトンの戦いにおいてもスパルタはカルネイア祭を口実に軍を派遣することを拒んでいる。

とりあえずスパルタから300人向かわせる

ここで注目すべきは、スパルタ兵300名が参戦したこと。スパルタの法を破ってでも兵を派遣したのはよほど緊迫した事態だった。

この人数については現代まで多くの議論がある。スパルタ兵に加え、ペリオイコイ(周辺住民)とヘイロータイ(奴隷)も加わり実際は1000名ほど動員されていたとされる。スパルタは祭典終了までの時間稼ぎとして、レオニダス率いる1000名をテルモピュライへ派遣せざるを得ない状況にあった。

テルモピュライの戦いの開戦前夜における両軍の動向

テルモピュライの戦いに備えるスパルタ兵のイメージ

両軍はテルモピュライに布陣した。ペルシャ王クセルクセスは多くの自軍を、ギリシャ兵に見せつけた。これにより戦意を失い、降伏するか撤退して、戦線から離れることを期待した。

ところが、ギリシャ側に動揺する様子はない。それどころか部下の報告によると、スパルタ兵は体育の訓練や頭髪の手入れに専念しているという。スパルタでは命を賭けて戦うとき、頭髪を整える習慣があることも伝えた。しかしクセルクセスは、大群を前に平然としているスパルタ兵の行動を、理解できなかった。

クセルクセスは4日間の猶予をおき、ギリシャ軍の降参を期待したがその動きがないので5日目に攻撃を開始した。こうして戦うことなく、テルモピュライを通過することは裏切られた。

ギリシャの重装歩兵がペルシャ軍を撃退したテルモピュライの戦いの序盤

テルモピュライの戦いで防戦するスパルタ軍

戦闘がはじまるとギリシャ軍が圧倒した。これは装備の格差と戦術をフルに活かして戦った結果。またギリシャ軍の足止めによってペルシャ軍は食料や水の危機にあった。

クセルクセスの攻撃と初戦の敗北 

クセルクセスは4日待機して、5日目に攻撃を開始。初日はギリシャ軍の返り討ちにあった。まずメディア人とキッシア人(共にペルシャの居住者)が攻撃を仕掛けるが、ギリシャ軍の抵抗に負け、大きな損害を受けた。

次いで最強だと思われていた不死隊(アタナトイ)を繰り出した。またしてもギリシャ軍を負かすことができず、この日は負け戦で、退却せざるを得なかった。

ギリシャ軍の重装歩兵とペルシャ軍の軽装歩兵

テルモピュライの戦いにおける両軍の装備

なぜギリシャ軍の抗戦は成功したのか。その理由として、幅15メートルという地の利と、両軍の装備格差にある。

ギリシャ軍は防御力の高い重装歩兵のファランクスであったのに対し、ペルシャ軍は機動性を重視した軽装歩兵。展開スペースのない道幅ではペルシャ軍の強みが完全に封じられ、ギリシャ軍のファランクスを突破することは難しい。

ギリシャとペルシャの装備と戦術の違いは以下の通り。

項目ギリシャ軍(重装歩兵)ペルシャ軍(軽装歩兵)
直径約1mの木製丸盾枝などで編んだ軽量で小型の盾
主要武器2〜3mの長槍、短剣短い槍、弓矢など
防具青銅製の兜、胸当て、脛当て布製の衣服、フェルト製の帽子
基本戦術密集陣形(ファランクス)による正面突破・防御機動力を活かした展開、遠距離からの弓射
幅15mでの優劣防御と槍のリーチを活かせるため圧倒的有利行動の自由が制限され、強みの機動力を活かせず圧倒的不利

ヘロドトスはスパルタの戦術を以下のように伝えている。

「中でも特筆すべき戦法は、敵に背を向けると一見敗走するかのごとく集団となって後退するのである。 ペルシャ軍は敵の逃げるのを見ると喊声を挙げすさまじい音響を立てつつ追い迫る。スパルタ軍は敵の追い付く頃を見計らい、向き直って敵に立ち向かうのである。この後退戦術によってスパルタ軍は無数のペルシャ兵を倒したのであった。」

ヘロドトス 歴史 下p134 松平千秋訳

ギリシャ軍の防御によるペルシャ軍の食料問題 

戦闘2日目の総攻撃においても戦況に変化はなかった。ペルシャ軍は少数であるギリシャ軍を軽視していたが、テルモピュライの突破を阻止されてしまう。この足止めは、以下2点の深刻な問題をもたらした。

  • 食料と水の問題:大軍に対する物資の確保が難しく、数日の足止めが自滅する原因になった。
  • 海上補給の制限:海軍がギリシャ艦隊と対峙しており船からの物資に限界があった。

2日目も攻撃を阻まれたペルシャ軍は、陣地へと引き上げていった。 

エフィアルテスが招いたテルモピュライの戦いの転機

テルモピュライの戦いの裏道

ここで登場するのがギリシャ人のエフィアルテス。彼は賞金を目当てに、ギリシャ軍の背後を取る道をクセルクセスに密告し、ギリシャ軍の破滅を招いた。彼の名は悪い意味で後世まで残り、現代ギリシャ語で「エフィアルテス」は「悪夢」を意味するようになった。

彼はスパルタの報復を怖れ逃亡したが、ギリシャ中から賞金をかけられ、最後はトラキス人のアテナデスの手にかかって殺された。

スパルタ全滅によるテルモピュライの戦いの結末

テルモピュライの戦いの最終決戦

エフィアルテスの裏切りによって後ろを取られたギリシャ軍は、死を覚悟して最終決戦へと準備する。捨て身でペルシャ軍に立ち向かうが、ついに全滅する。

背後を取られたギリシャ軍

クセルクセスは日没にギリシャ軍の背後へ部将ヒュダルネス率いる部隊を派遣した。レオニダスはこのルートの防衛に1000名のフォキス人を配置していた。

フォキス人は枯れ葉を踏む音の大きさから敵の接近を察知した。ヒュだルネスの部隊に弓矢を射かけられ、不意を付かれたフォキス人は進軍を阻止できなかった。こうしてペルシャ軍は夜通し進軍し、ギリシャ軍の背後を取った。

最後の晩餐

夜明け前、レオニダスは投降者によりペルシャ軍が接近している知らせを受けた。各隊の指導者を集めて残る者と撤退するものに分けた。スパルタ軍と共に残ったのは以下の2隊。

  • テスピアイ兵の志願 :スパルタ軍を見捨てることを拒み、自ら進んで残留し運命を共にした。 
  • テーバイ兵は引き止め:ペルシャへの親和性を警戒したレオニダスにより、強制的に残された。 

プルタルコスは、決戦を控えた朝食の場でレオニダスが発したことばを以下のように残している。 

レオニダスは彼の兵士たちに、ハデスで正餐を取るような朝食をするように命じた。
プルタルコス モラリア3 松本 仁助訳

こうしてスパルタ、テスピアイ、テーバイのさらなる少人数でペルシャ軍と最終決戦に挑むこととなった。

レオニダスの死と最後の戦い

クセルクセスは午前10時ごろに攻撃を開始した。レオニダスはこれまで戦っていた狭い場所から、広いスペースに移動した。これまでが守りであったのに対し、今回は攻めの姿勢をとった。

この戦いでペルシャ側にも大きな犠牲が出た。クセルクセスの異母兄弟2人が戦死。ついにレオニダスも倒れた。そのうち他のペルシャ軍が到着し背後から攻撃をはじめた。ギリシャ軍は小高い丘に退き、そこでさらに戦闘を続けた。

スパルタ軍は槍が折れると剣で、武器が壊れると、噛みついたり殴ったり、己の体を武器に、一人でも多く道連れにしようとした。

そのためペルシャ軍は間隔をとり四方から矢の雨を降らせ、ギリシャ軍全員を討ち取った。そして前480年の8月中旬にテルモピュライの戦いは終わった。

スパルタ兵の哲学といえる「勝つか、それとも死か」を貫いた戦いだった。 レオニダスが率いた300人は、混じりっ気なしのスパルタの戦士として死んだ。

テルモピュライの戦いで生き残ったギリシャ兵

テルモピュライの戦いで生き残ったスパルタ兵のイメージ

スパルタ軍の大半が戦死した一方で、戦場を離れたていた者や、ペルシャ軍に降伏したテーバイ軍がいる。いずれも彼らに待っていたのは悲痛な最後だった。

生き残ったスパルタ兵2人の末路

テルモピュライの戦いから生還したアリストデモスとパンティテスの2人がいた。スパルタに帰還すると恥さらしのレッテルを貼られ、それぞれ異なる結末を迎えた。

  • アリストデモス
    スパルタに帰国すると、生き恥をさらしたとして誰も彼に話しかけず、「腰抜けアリストデモス」と呼ばれた。しかし彼はプラタイアの戦いで前線に立ち、戦死することで汚名を挽回した。
  • パンティテス
    伝令としてテッサリアへ遣わされ生き残った。彼はアリストデモスと同じく、スパルタに帰国すると、恥辱を受け首を吊り自害した。

スパルタでは、戦争で負けて帰ることは最も恥ずべきこと。スパルタの母親は生還した息子に対し、「お前について悪い噂が広まっている。いますぐこの噂を取り除くか、生命を絶ちなさい」という手紙を残すほど、負けて帰ることは恥ずべきことだった。

裏切ったテーバイ軍

スパルタとテスピアイ兵が死を覚悟して戦う中、テーバイ軍は戦場から離れペルシャ軍に降伏した。テーバイ軍は戦況がペルシャに有利と見ると両手を差し出し「元々ペルシャと共にするはずだったが、無理やり戦わされていた」と命乞いをした。

テーバイ軍は命は助けられたが焼印を押され、奴隷や従属軍として扱われた。

裏切りのないテルモピュライ

テルモピュライの戦いに備えるペルシャ軍

もしエフィアルテスが存在せず、クセルクセスが迂回ルートの存在を知らなかったらどうなったか。あと数日、ギリシャ軍が耐えていたならペルシャ軍は自滅した可能性がある。理由は以下の2つ。

  • 食料と水の限界:
    約20万人の大軍に必要な食料と水は、陸路の輸送や現地の調達だけでは補給が難しいため。
  • 海軍との連携:
    クセルクセスは沿岸部に建てた物資集積所から、並走する船で物資を補給し続けるシステムに依存していたため。

もし防衛が長持ちしていたらペルシャ軍を自滅へ追い込めた。またオリンピア祭が終わり、全ギリシャから援軍が送られ、作戦は成功したかもしれない。

テルモピュライの戦い:まとめ

この記事ではテルモピュライの戦いについて解説した。まとめは以下の通り。

  • 開戦の理由:ペルシャ支配下のギリシャ人が反乱を起こし、そこにギリシャ本土から援軍を送ったことが、戦争につながった。
  • 限られた兵力: オリンピア祭などにより大規模な動員が禁じられ、少数の部隊しか派遣できなかった。 
  • 苦戦するペルシャ軍:総攻撃を仕掛けたが、ギリシャ軍の戦術により大きな損害を被り、退却を余儀なくされた。
  • 戦局の推移:地形を利用しペルシャの大軍を食い止めたが、エフィアルテスにより後ろを取られ敗北した。
  • 生き残ったギリシャ軍:スパルタ人の2名が生還した一方、テーバイ兵はペルシャ軍に降伏し生き残った。
  • 防衛維持の意義:あと数日、防衛できていればペルシャ軍は自滅し、ギリシャ側の作戦は成功していた可能性がある。

参考文献

  • スパルタ 古代ギリシアの神話と実像 長谷川岳男
  • 地中海世界史 ポンペイウス・トログス・ユニアヌス・ユスティヌス 合坂學訳
  • ギリシア人の物語Ⅰ 塩野七生
  • 英雄伝1 プルタルコス 柳沼重剛訳
  • モラリア3 プルタルコス 松本 仁助訳
  • 歴史 上・中・下 ヘロドトス 松平千秋訳
  • 古代ギリシアの歴史 桜井万里子
  • 世界の歴史 (5)ギリシアとローマ 桜井万里子
  • 地中海世界の歴史 3 本村凌二

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