
この記事ではリュクルゴスの制について解説する。
この記事のポイント
- リュクルゴスが定めた法律
- リュクルゴスの生涯
- ホメロスとリュクルゴスの関係
- リュクルゴスの制がギリシャに与えた影響
- スパルタ教育の起源
治安の悪かったスパルタは、リュクルゴスの制によって強国となった。
彼がもたらした法律や知られざる生涯をはじめ、ホメロスとの意外な関係、国制が国家に与えた影響、そして現代にも名高いスパルタ教育の起源にいたるまで、強国へと至る歴史の全体像を分かりやすく紹介する。
もくじ
リュクルゴス以前のスパルタと改革の背景

前9世紀の治安の悪いスパルタの社会状況からリュクルゴスが亡命に至るまでの経緯を解説する。
具体的には以下の6点。
スパルタの治安悪化と秩序の欠如
紀元前9世紀ごろのスパルタは、歴史家ヘロドトスによって「全ギリシャの中で最も治安が悪い国」と記述されるほど、悲惨な状態にあった。
この危機を打破したのが「リュクルゴスの制」と呼ばれる改革であり、スパルタに厳格な法が整備された。
歴史家のトゥキュディデスはペロポネソス戦争が終わった時点(前404年)で「約400年、 国制は不変だ」と記しているので、前800年ごろ制定されたと思われる。
リュクルゴスの人物像
立案者のリュクルゴスは、スパルタを改革し「エウノミア」を築いた王家の人物。
ギリシャの英雄ヘラクレスから数えて11番目の子孫であると伝えられている。
エウノミアとは
古代ギリシャ語で「良き法」や「秩序」を意味する。
スパルタ人は自らを「ヘラクレスの末裔」と位置づけることで、支配の権威性を保っていた。
リュクルゴスはスパルタで神格化され、古代以降もスパルタの代名詞となっている。
リュクルゴスの生い立ちについては、以下の伝承がある。
二王制の起源と二つの王家
スパルタは、アギス朝とエウリュポン朝という二人の王による二王制が敷かれていた。
第3代のエウリュポン王は、王による独裁よりも民衆の機嫌を取ることで支持を得た。
しかし、それが民衆を大胆にし、以下の問題が発生した。
リュクルゴス以前の王
スパルタの二王家、およびリュクルゴスが後見役に就任するまでの王位は以下の通り。
| 代数 | アギス朝 | エウリュポン朝 | 備考 |
| 初代 | エウリュステネス | プロクレス | |
| 第2代 | アギス1世 | ソオス | |
| 第3代 | エケストラトス | エウリュポン | |
| 第4代 | ラボタス | プリュタニス | |
| 第5代 | ドリュッソス | エウノモス | リュクルゴスの父 |
| 第6代 | アゲシラオス1世 | ポリュデクテス | リュクルゴスの兄 |
| 代行 | - | リュクルゴス | ポリュデクテス死後の後見役 |
| 第7代 | アルケラオス | カリラオス | ポリュデクテスの息子 |
カリラオスの誕生と王位返上
リュクルゴスの父が亡くなると、兄が次の王になった。しかし、その兄もすぐに急死してしまったため、リュクルゴスが約8ヶ月のあいだ、王の座を引き継ぐことになる。
そのとき、亡くなった兄の妻が子を宿していることに気づいたリュクルゴスは、「もし生まれてくる子が男なら、その子に王位を譲る」と周りに宣言。
その後、男の子が生まれると、リュクルゴスは「スパルタの新しい王が生まれたぞ」と皆に知らせ、その子を玉座に寝かせて、カリラオス(民衆の喜び)と名付けた。
スパルタからの亡命
リュクルゴスは民衆から尊敬されていたが、嫉妬する者による彼の勢力を阻む動きもあった。
もしカリラオス王の身に何かが起これば、それはリュクルゴスの仕業だという噂が広まった。
リュクルゴスは不測の事態が起こることを恐れ、国外へ出て、嫌疑を避けた。
各国への旅とスパルタ国政の着想

改革の土台となった、リュクルゴスの外国への旅とクレタ島の優れた制度や、ホメロスとの出会い、改革の決め手となったデルポイの神託について解説する。
具体的には以下の3点。
クレタ島から見るスパルタの国政
スパルタを出国したリュクルゴスは、クレタ島へと向かった。彼はクレタ島の法律や国制をスパルタの新たな体制として採用している。
| 制度 | クレタ(名称) | スパルタ(名称) | 主な職務・内容 |
| 行政・監督 | コスモス(秩序官) | エポロス(監督官) | 国政をチェックし、市民の暮らしを監督する |
| 会食制度 | アンドレイア(成人会) | シュッシティア(共同食事) | 市民が同じ食事をし、絆を深める |
前7世紀のスパルタの詩人アルクマンの詩にも「会食の席や祭の宴では、成人会への招かれ人の間から神への賛歌をはじめることこそふさわしい」と歌われている。
クレタ島を後にしたリュクルゴスは、小アジアを経由してエジプトやリビア、イベリア、インドまで渡ったとされている。
彼はとくにエジプトの、軍人階級が他の階級から区別されている国制に感銘を受け、この思想をスパルタの軍事体制へと組み込んだとされている。
ホメロスの詩の伝承とスパルタへの導入
リュクルゴスは、ホメロスの詩をギリシア世界へ普及させた最初の人物とされている。
彼はエジプトを離れた後、アジアやキオス島でホメロスの詩編に初めて触れ、一説には本人と面識があるとも伝えられている。
当時、ギリシャではホメロスの噂が少しずつ広まっており、詩の断片を所有する者や、個別に朗唱する者が現れ始めていた。
リュクルゴスはホメロスの詩の中に、快楽や不節制といった要素だけでなく、政治的・教育的な有用性を見出した。
これは考察する価値があると確信したリュクルゴスは、詩編を熱心に書き写させてスパルタへ持ち帰った。
彼が体系的に持ち込み紹介したことが、ホメロスの詩が広く世に知れ渡り、その名を高める最大の契機となった。
デルポイの神託とスパルタの改革
リュクルゴスはスパルタに戻ると、まずは国の制度を一新することを決意した。
彼は一部の手直しを加えただけではなんの効果も得られないと判断した。そう考えると、デルフォイへ旅立ち神託を伺った。
お告げはリュクルゴスに、「神の友、人ならび神なる汝」と呼びかけ、「他の国制よりはるかにまさる制度を、神は汝に与うべし」と告げられた。
このピュティアの予言をもとにスパルタの有力者を味方につけ、強力な反対勢力を抑え込んだ。
リュクルゴスが定めたスパルタの国制と統治体制

スパルタを強国へ導いたリュクルゴスの改革を解説する。
重要な改革として、以下の3点が挙げられる。
第一の改革:長老会による権力の均衡
リュクルゴスの改革の中で最も大きなものは、2人の王と28人の長老からなる「長老会(ゲルーシア)」の設置。
この制度の目的は、王政、貴族政治、民主制を1つにし、権力のバランスを保つことにあった。
王の独裁や市民の暴走を防ぐため、長老会が双方に偏らない中立な立場として機能した。
内容は以下のようなものだった
| 制度の項目 | 仕組みと役割 | 目的 |
|---|---|---|
| 神殿の創設 | 守り神としてゼウスとアテナの神殿を建てる。 | 市民の団結力を高める。 |
| 市民のグループ分け | 市民を血縁グループと、地域ごとのグループに分ける。 | 国が貴族と市民を公平に管理する。 |
| 長老会の設置 | 2人の王と、28人の長老による最高会議を組織する。 | 国の方針や法律を決定する。 |
| 市民集会の開催 | 広場に市民を集め会議をひらく。 | 国家の重大事について市民の意見を反映させる。 |
| 意思決定の手順 | 長老会の政策に対し、市民が賛否を行う。 | 王・長老会、市民で円滑にすすめる。 |
まさにこれを理論的にだけでなく、実際の経験によってリュクルゴスがスパルタの政体を作りあげている。
第二の改革:土地の再分配による平等
政策である「土地の再分配」は、貧富の差をなくし、市民を完全に平等にするために行われた。
富裕層に富が集中するなかで市民は貧しくなり、それがうらみや傲慢となり治安の悪化につながっていた。
これを解決するため、リュクルゴスはすべての土地を回収し、分配しなおした。
すべての人々が互いに平等に暮らし、平等な財産をもてるように取り計らった。
具体的な土地の割り当ては以下の通り。
ペリオイコイとは
スパルタにおける、半自由民のこと。
市民権は持たないが納税と兵役の義務を負っていた。
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人の価値は財産ではなく、恥ずべき行為を非難されるか、立派な行為を称賛されるかの「徳」で評価する社会にした。
この施策により、富と貧困の差がなくなり、「徳」のみを競い合う平等の基盤が確立された。
第三の改革:共同食事の制度化
さらに簡素に慣れさせるために市民に共同食事という仕組みを作った。
約15人のスパルタ市民が集まり、ぶどう酒やチーズ、大麦、少量の貨幣を持ち寄りみんなで共通の食事をするというもの。
この仕組みにより、以下のような変化や決まりが生まれた。
全員がおなじ食事をすることで、美食から遠ざけた。
簡素な食事に慣れさせ、金を持っていても、ぜいたくの意味がない社会にした。
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リュクルゴスによる3つのレトラの確立

リュクルゴスがもたらした3つのレトラを解説する。
具体的には以下の3点が挙げられる。
第1のレトラ:文字の禁止
リュクルゴスは法律を文書として残さなかった。これが3つあるレトラの1つ。
レトラとは
リュクルゴスがデルポイの神託より受けた法律のこと。
ギリシャ語で「言葉」「同意」を意味する。
文章に残さないことにより、国家の基礎となる規律を市民に定着させる狙いがあった。
重要な法律は、文字よりも、教育により市民の心に植え付ける方が、確実に引き継がれると考えた。
リュクルゴスは、書き留められた法律を使用しなかった理由を尋ねられて、「厳格な規律の許で教育され鍛えられた者たちは、そのときの状況に最も役立つことを判断しうるからである」と言った。
モラリア3 プルタルコス 松本仁助訳
細かいことや、金に関する契約、その場の必要に応じて変わることは、固定された法律で縛るよりも、その場の事情により、教養ある人々が変更するほうがよいとリュクルゴスは考えた。
第2のレトラ:質素な家に住むこと
第2のレトラは市民からぜいたくを遠ざけるため、住居の構造を極限まで質素にすることを定めた。
具体的には、住居の建築において以下の道具のみ、使用が許可された。
家が大衆的で質素な造りであれば、銀や金で作られた高価な家具を持ち込もうという心理が働きにくくなる。
もし一部でもぜいたくな家具を導入してしまうと、それに合わせて他の家具も次々と高級なものへ合わせざるを得なくなる。
あらかじめ住居の質を制限し、ぜいたくを防ぐという意図がある。
第3のレトラ:同じ相手と戦闘禁止
第3のレトラは同じ敵と何度も戦闘することの禁止。敵に戦術を明かすリスクを避け、弱点を取られないように定められた。
度重なる戦闘により敵が防衛戦に慣れると、かえって好戦的になり、スパルタの戦い方を吸収して実力をつける恐れがあった。
後世のアゲシラオス王は、テーバイへ何度も戦いを挑み、もともと戦術を知らなかったテーバイ人をスパルタと互角に戦えるほど強力にさせてしまった。
そのためアゲシラオスが負傷したとき、アンタルキダスから
「テーバイ人に戦術を教え、結構な授業料を支払うことになったな」と皮肉を言われたという。
こうして同じ相手との戦いを禁止し、戦闘においてスパルタは全ギリシャで優位に立ったといえる。
リュクルゴスの制における貨幣と技術の制限

リュクルゴスはスパルタに鉄貨のみを流通させ贅沢を徹底して排除した。それに伴うスパルタの変化を解説する。
具体的には以下の2点が挙げられる。
鉄貨の導入による富の無価値化
リュクルゴスはさらに不平等をなくすため、ギリシャ共通の金と銀貨を廃止し、価値のない鉄の貨幣のみを使用させる政策をとった。
それにはいったん資産を分配し直す必要がある。けれども、いきなり資産を取り上げられたら市民は黙っていない。
そこで政策によって押さえ込むことにした。金の使いやすさや価値を物理的に無くし、金を貯めさせないようにした。
具体的な貨幣の仕様と効果は以下の3つ。
こうしてギリシャ共通の金銀を無くし、価値のない鉄を用いることで、市民の反発を防ぎ、社会の不平等を解消した。
不要な職業の排除とぜいたくの消滅
鉄の貨幣を導入したことにより、スパルタではぜいたくや無用な職業が無くなっていった。
他国では鉄の貨幣は価値がないため、外国から貿易ができなくなり、買い物もできなかった。
その結果、スパルタには以下のような変化が起こった。
ソフィストとは
弁論術を教える職業教師のこと。
銀貨が通貨となったことで貿易がなくなり、資産を持つ意味もなくなった。
その結果、ぜいたくがなくなり、生活に必要な技術だけが残った。
リュクルゴスの最期と後世への影響

制定した法律を永遠に守らせるためにリュクスゴスが選んだ行動と影響を解説する。
後世へつながる流れは、以下の2つ。
リュクルゴスの制によるスパルタの覇権
国制をリュクルゴスに任せてからは、ほかの地域の人々をはるかにしのぐほど強国となった。
その結果、ギリシャの中で自分たちだけで陸と海の両方を支配し、長いあいだトップに立ち続けた。
その後テーバイとマケドニアがその覇権を奪うまで、ギリシャを支配しつづけた。
法律を永遠に守らせるためのリュクルゴスの最期
リュクルゴスは法を長く維持させるため、全スパルタ人を民会に集め、強固な誓約を取りつけた。
国の幸福と繁栄のための土台は作ったが、最も重大なことはデルポイの神託をうかがうまで明かせないとした。
そのうえで、自身が帰るまでは法を一切変えず、厳守することを市民に誓わせ、デルポイへと向かった。
リュクルゴスは自ら定めた法を永続させるため、デルフォイの神託を受けた後にスパルタへ戻らず自ら命を絶った。
リュクルゴスはデルフォイで「自らの法がスパルタの繁栄に十分である」とのお告げを受け、その内容を書き写してスパルタへ送った。
生前リュクルゴスは、スパルタに戻らず、身内に別れの挨拶をした。自身は潮時を迎え、身内も幸せであると見えるから、というのであった。
そして自らが帰るまで法を守ると誓った市民に対し、永遠に帰らないことで法を永続させるため、絶食して自ら命をたった。
スパルタはリュクルゴスの制を500年間守り、エウノミアを代表する国となった。
エポロスを置くようになったのも、国制の弛みではなく伸長の表れであり、民衆のためと見せつつ貴族制をいっそう強化した。
哲学者たちへの影響とリュクルゴスの神格化

リュクルゴスは、人が正しく生き、協力することが国と個人の幸せに必要であると考えた。
市民が自由と節制を保つため、ぜいたくや身勝手をきびしく制限し、国の調和を維持した。
リュクルゴスの制はプラトンやディオゲネス、ゼノンといった優れた哲学者に影響をあたえた。
しかし、以上の人たちは著作や議論の中に理想をとどめて、実現はしなかった。
それに対しリュクルゴスは実践によって独自の国政を具現化した。
この実践は他の政治家をしのぐ名声をもたらし、アリストテレスから「最大の名声を得たが、しかるべき名声は得ていない」と評された。
結果として、彼は人間でありながら神として祀られ、毎年犠牲を供えられる対象となった。
言い伝えでは、リュクルゴスは一人息子を残したが、それ以降の家系は絶えたという。
しかし、仲間や親族たちは長年のあいだ、集会をつづけ、その日を「リュクリギデス」と呼んでいた。
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まとめ:リュクルゴスの制によりスパルタの治安が改善
この記事では、リュクルゴスの制によるスパルタにもたらした壮大な改革のについて解説した。
重要なポイントをまとめると、以下の6点に集約されます。